カール・ゴッチ

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カール・ゴッチ(Karl Gotch)とは、1960年代から1980年代に活躍したプロレスラー。通称「プロレスの神様」。

概要

1924年8月3日、ドイツもしくはベルギー生まれ。享年82歳。

2種のレスリング競技にてベルギー王座を7回ずつ獲得、ロンドンオリンピックにもベルギー代表として出場した。その後プロレスデビューを果たし、カナダ進出後アメリカにて各種プロレス連盟に参戦、WWWF(後のWWE)でWWWF世界タッグ王座を獲得するも単独での主要王座の獲得はできず、「無冠の帝王」と呼ばれる。

1961年に日本プロレスに参戦。力道山とも引き分けた。1968年には日本に移住し日本プロレスのコーチに就任し、アントニオ猪木にジャーマン・スープレックスや卍固めを伝授した。

新日本プロレス設立時にも協力し、アントニオ猪木・坂口征二・藤原喜明らと対戦、またフロリダ州の「ゴッチ道場」にて藤波辰巳や前田日明などのプロレスラーを多数育成した。

その後UWF、藤原組の顧問や無我ワールド・プロレスリングの名誉顧問を務め、2007年7月28日にフロリダ州にて死去。

数々の謎・エピソード・名言が残っている人物である。


くるねこ作中においては喜多條忠氏が自分で抜歯をしたという話題の際に「横浜のカールゴッチ」と言われている[1]

また、爪切りを嫌がって抵抗するトメ吉くるねこ氏の様子がジャーマンスープレックスに似ていたようで、乙女氏が「懐かしいなぁカールゴッチ」と呟くシーンがある[2]

脚注

外部リンク